ふるさとの遺産
その5 森町の先史時代
「鷲ノ木遺跡」の推定面積は、約4万u位です。これまで発掘調査が行われた面積は約1万2千uで、遺跡全体を解明するには残りの部分を全て調査しなければ、縄文時代の生活様式内容がまったく分からないと思います。
この遺跡についてこれまでに分かったことは、普段人々が生活する場ではなく『聖地』という特別な場所が先に発見されたことです。
今回は、前回に引き続き当時(4千年前)の生活習慣(風習)から生まれてきたと思われる「精神文化」についてお話します。
さて「鷲ノ木遺跡群」では、特に山の上を『聖地』とし、大規模な墓域や多目的な広場と思われる施設の発見は、全国的にもあまり例をみないものとして話題になりました。大きな川原石(礫)をふんだんに使い、なおかつ大掛かりな構築物(例えば環状列石)であることで注目されました。
更にもう一つ注目される点は、「土壙墓」といわれる地面に竪穴を掘って埋葬する墓です。その墓の一つひとつも大きくて、山の斜面などに幾つも並んでいました。 なぜ山の斜面だったのかはまだ解明されていませんが、今後の確認調査などにより少しずつ分かってくるでしょう。
そしてその斜面の裾には大きな川原の石を石垣のように積み上げた列石が、約38mも延びていました。これはあたかも、山と平坦部(集落のある場所)との境界を示しているようでもあり、明確な区画がなされていることになります。
当時の人々が特に大切にしなければならない場所の設置は、その人たちが生活していく以上に大切なことを意味するのかもしれません。また、その根底にあるものは現代人の持つ先人の霊を敬う心となんら変わらないのだろうと思われます。
このように、人々が生活する場ではなく、いわば神聖なる場所だけを大規模に造っていることを考えると、それらを造り上げた人々の生活空間(集落)は更に豊かな生活水準をうかが窺わせます。―となると、多くの人たちで賑わいを有していた集落はどこにあるのでしょうか。
墓や環状列石などを築き上げた山のふもと麓なのか、はたまたひと山越えた広い海辺にでも大都市を築いていたのでしょうか。
その当時の賑わいを窺わせる出土品は、いまのところまだ出ているとはいえません。それらを期待するだけでも、この「鷲ノ木遺跡」の想像もつかない大きさに胸躍らすものがあると思います。