ふるさとの遺産
その4 森町の先史時代
「鷲ノ木遺跡」ではこれまで様々な不思議発見が報告されてきました。前号までは縄文時代と現代の生活様式の基本がまったく変わらないことが実感されたと思います。
今回は、四千年前の生活習慣から生まれてきたと思われる「精神文化」について、その不思議に触れてみたいと思います
さて、縄文時代後期の文化層が広範囲に残る「鷲ノ木遺跡群」では、山の上を「聖地」とし、そのふもとに集落形態を作り上げていたことがわかってきました。それが当時の生活形態あるいは社会形態として成り立っていたことが考えられます。
縄文時代の精神文化(墓制形態)は主に先祖を祀(まつ)るとされていますが、身内に起こった不幸を皆で供養する現代の宗教思想となんら変わらない行事が当然のごとく行われていたことが事実のようです。
その代表的なものが「土壙(どこう)墓(ぼ)」といわれる地面に穴を掘って埋葬する墓です。墓には死者と共に副葬品が伴う例もあります。副葬品には土器や石器等の生活用具がよく入っていますが、それら第一の道具の他に第二の道具といわれる祭祀用のものと思われる道具類が出土します。それらの代表として装飾品(首輪、腕輪、耳飾等)があげられます。土や石で巧妙に作られており、形状も現代のものと寸分変わりません。
さらに不思議な製品のひとつに「土偶・岩偶」があります。これは、人や動物をかたどった人形のようなものです。その表現方法も様々で、土器などに顔の部分だけ貼り付けてあるものや身体全容を明確に表現したものを単品で作られたものがあります。
ちなみに動物類には、熊、猪、海獣類(鯨、イルカ、鮫)等があり、鷲ノ木遺跡では、とても大きな人をかたどった土偶と極めて小さなイルカ?をかたどった土製品が出ています。
縄文時代の精神文化の中では、はたして神様や仏様がいたのでしょうか。当時の人々が手を合わせて祈る意識は現代人と同様のものが存在しているとすれば、その象徴として作り出されたものが「土偶・岩偶」ではないでしょうか。
その偶像というものは、その時代背景の中で起きた様々な内容の事柄から生まれており、それによって様々な形状の製品が生まれてくると考えられます。
鷲ノ木遺跡でとてつもない大きな土偶が出土しました。これらは当時の偉大な指導者に捧げる偶像で、それを家の守り神あるいは集落の守り神として祀られていたのだと思います。