沿革

2010年3月8日

沿革

 言うまでもなく水は欠くことのできない貴重な資源であります。
現在、森町の水道は市街地を中心とした上水道施設と駒ヶ岳、赤井川地区簡易水道施設、濁川地区簡易水道施設の3施設により給水しておりますが、その歴史は浅く、全て昭和50年代に整備されたものであります。

 上水道の建設は、昭和48年3月に事業認可を得て同年10月に着手し、石油パニックによる政府の総需要抑制策を乗り越え同50年7月に完成しました。
計画給水人口は15,000人規模の水道施設では、道内で一番遅い建設であったと記憶しております。 
それは、市街地の地下水が質量共に恵まれていたことに起因しますが、生活様式の近代化により地下水汚染が問題視されるようになり、古くは昭和28 年3月の町議会で質問討議されて以来、昭和36年10月23日に発生した森町大火災の復旧事業を経てようやく完成したものであります。

 その後、開設から20年が経過し、産業、商業、住宅地域の分布、構成にも変化が現れ、これまでの地下水利用についても水質悪化が懸念される事態とな り、新たに森川町、姫川の一部を給水区域に含め、配水管路の布設整備されていなかった白川、栄町等の一部未普及地域をも合わせて給水を実施するため平成7 年4月に第一次拡張事業の認可を得、同年7月に工事に着手し、9年3月をもって完成したものであります。

 駒ヶ岳、赤井川地区簡易水道の建設は、昭和53年6月に事業認可を得て直ちに工事着手し、同年12月に完成しました。
この地域は、活火山 駒ヶ岳の火山灰に覆われ、沢水は少なく、地下水も水質が悪いという条件下にあったので、昭和42年、開拓農業者を対象に国営開墾建設事業の一環として専用 水道を建設しましたが、その後、1人当たりの使用水量の増加や農業者以外の人口増加等により慢性的な水不足状態となったので、同専用水道を廃止し、簡易水 道施設を建設したものであります。

 以来、給水開始から16年経過し、この間の社会情勢の変化に大きく影響を受け、農業者主体の給水計画から自然環境を生かした定住生活型の人口推移を 基調に見直し、合わせて大規模年金保養基地ホテル棟の開業や道立自然少年の家の開設、並びに町営温泉駒ヶ嶺温泉ちゃっぷ林館の建設など、新たな需要に対応 できるよう、給水区域の拡張を行い配水管路の布設整備を実施するため、平成7年10月に第一次拡張事業の認可を得、同年11月に工事に着工し、8年1月を もって完成したものであります。

 濁川地区簡易水道の建設は、昭和41年5月に事業認可を得て同年9月に工事着手し、42年2月に完成しました。この地域は、河川に温水が流入して濁 川と名付けられたとおり、地下に膨大なマグマを有する盆地であることから、温泉は豊富ですが地下水は皆無なので、山腹の湧水を水源として建設しました。

 しかし、その後の営農推進と生活様式の近代化等により使用水量は増加の一途を辿り、既存の施設規模及び水源量では賄えなくなってきたこと、さらに は北海道では初めての地熱発電所が昭和57年完成を目処に建設されることになったこと等から簡易水道施設の整備が急務となりました。
そのことから昭和56年6月に増補改良拡張事業の認可を得、同年8月に工事着手し、57年8月に完成しました。この事業は、実質的には新設事業であり、既存施設は廃止すると共に、水源も、同地区に接する三岱地区山頂の地下水(取水井)としました。

 水道施設の建設経過は以上のとおりですが、現在でも地下水が豊富等の理由により、水道建設を要望していない地域があります。今後とも町民皆水道を目標に、それらの地域の実情把握を怠ることなく、必要に応じた施設の設備を行っていきたいと考えております。

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上下水道課
電話:2-0985